吉野
本日は、よろしくお願いいたします。
ます生年月日とご出身地をお願い致します。

若林氏
1964年の7月27日生まれです。
出身地は、東京の蒲田です。

吉野
小学校の頃、好きな科目とか興味を持った事は何かありますか?

若林氏
体を動かすことの方が好きだったので体育とか、図工が好きでしたね。
それと小学校から柔道をやっていました。

小学校の担任の先生が柔道をやっていたんで、「やらないか」って言われて中学校まで道場に通ってました。

吉野
他には何か熱中したものはあるんですか?

若林氏
「鉄道模型」もやっていたし、あと「無線」もやっていました。
今でもそうですが、興味のあるものは、まずやってみたくなるんです。
海に行ってサーフィンやったり、ウェイクボードとかボート、四級船舶とかダイビングも免許取ったりだとか、スカイダイビング以外は全部やっているんじゃないかってぐらい色んな事やってます。
やってみないと気がすまない性格なんですよ。
ただ、まとまった時間が取れないから、やったことあるというレベルですね。

吉野
パティシエを志したのは若林オーナーがいくつの頃ですか?
何かきっかけとかあったんですか?

若林氏
子供の頃から家で母親の料理の手伝いをするのが好きでしたし、自分でも料理してました。
作るものと言えば簡単なB級グルメみたいな、チャーハンやスパゲッティ、餃子とか、しょっちゅう作っていましたね。
それが始まりみたいなものです。

吉野
菓子職人になりたいという具体的なきっかけはあったんですか?

若林氏
大学行こうかっていう時に私は大学に行ってやりたい事があるわけじゃなかったので、だったら食に関する専門学校に行こうと思って、
調理師学校に行ったんです。

吉野
学校はどちらに?

若林氏
「服部栄養専門学校」です。

吉野
ああそうですか。「服部先生」って有名な方ですからね、その辺の事があったんですか?

若林氏
いや、ただ私の時代は辻調理師専門学校ですよね。
テレビ番組の「料理天国」で辻調理師専門学校の講師の方々が出てた時代だったんです。
でも、その頃は、東京には辻調理師専門学校はなく、大阪だけだったんです。

私は辻調の体験入学に行って、どうしても辻調理師専門学校に行きたいわけですよ。
ただ親と話した時に、「何で大阪に行かなきゃいけないんだ。東京にもあるだろう」って言われまして、残念ながら自分でお金出すわけでもなかったので、東京でどこだって考えたら服部栄養専門学校が良いと思い決めました。

吉野
製菓ですか?

若林氏
いや、その時は服部にも製菓はなかったんです。
調理をやっていて、「和・洋・中、製菓、集団給食」までやるわけですよ。
その中でお菓子が面白くて、製菓の先生と仲良くなって、どんどん「お菓子って面白いなぁ」っていう感じになっていったんです。

吉野
服部栄養専門学校を出られてからはどこかに入社されたんですか?

若林氏
服部の先生に「ここが良い」と言われて、成城の「マルメゾン」を紹介してもらいました。

吉野
そこで修業されたという事ですよね。菓子職人の世界はかなり厳しいですが、何か苦労された事とか、ありますか?

若林氏
家から通っていたので朝は5時に出ないといけないので大変でしたね。
それから仕事は、フランスのレシピだったりするわけでフランス語じゃないですか。覚えるのに大変でした。

吉野
逆に、嬉しかった楽しかった面とかありますか?

若林氏
最初のうちは評価されないですけど、上になっていくとお客様が喜んでくれるとかの反響がダイレクトに自分に帰ってくるじゃないですか、
それが嬉しさや喜びですよね。
普通にケーキ売っているだけだと「いらっしゃいませ、ケーキですね、ありがとうございました」で終わりなのが、オーダーケーキだとお客様から「こないだは美味しかった」といった声を言っていただけるんですね。
その言葉で、疲れだとか嫌な事が、全部消えていくような気がしましたね。
今でもお客様の言葉が「ああ、やってて良かった」という励みになってます。

吉野
お店を持ちたいと考えられたのは、だいたいいくつくらいの頃ですか?

若林氏
将来店をやるんだという気持ちは「マルメゾン」に入った時からありましたね。
自分が独立するしかないなっていう気持ちは強かったです。
本当にやんなきゃなって思ったのは30ちょっと前くらいです。

吉野
マルメゾンさんにおられたのは何年間くらいですか。

若林氏
6年くらいですね。その後は、1軒違うお店に行ったりフランス研修とかしたりしてた頃に、知り合いが、今まで喫茶店やっていた場所を持ってたので「おまえ何かやらない?」って誘われてデザート屋をやりだしたんです。

吉野
デザート屋?

若林氏
現在この店でもデザートをやっているんですけど、10数年前にもデザート屋をやっていたんです。
今のデザートで出しているメインメニューは、前にデザート屋やっていた時のメニューなんです。
そのデザート屋は東京駅の、八重洲口のところでルージュブランシュって名前でやったんですよ。
私が任されてシェフをやってました。

OLさんなどの女性客が多い店だったんで、平日の12時前後からと夕方の5、6時くらいからがデザートのレストランっていう感じでしたね。
通常のケーキもちょっとやっていたけど、ほとんどデザートでした。
フルーツグラタンやスフレやったりとか、アイスクリームの盛り合わせやケーキの盛り合わせみたなものを中心にやっていました。

吉野
手を入れて提供する形ですね。

若林氏
ケーキと言うとショーケースから出すもの、デザートはツーオーダーで出すものっていう感じです。
ケーキにしても切り分けして、フルーツ飾ってソースをかけて・・・と、ケーキをそのまま皿に置いて出すんじゃないんです。
そういう風にツーオーダーで出すっていう事をやってましたね。
人気が人気を呼んで連日満員御礼でした。

吉野
口コミってやつですね。

若林氏
そうですねー。テレビで紹介されえるよりも口コミがいいですよね。
テレビの場合はすごい反応が最初からがあり、だんだん潮を引くようになっていきますけど、口コミはその逆ですね。
うちの今の店は、地域密着型なんで、渋谷とか六本木とか銀座とかでやっているわけじゃないんだったら、口コミで美味しいって言われて繁盛していく方が良いなぁと思いますね。
現在の喫茶でお出ししているデザートも、あえて大々的にアピールはしていないですが、ちょっとづつ、ここでこんなのがこの値段で食べれるんだなというのを知って来ていただければいいかなと思ってます。

吉野
けっこうリーズナブルなお値段の商品がありますよね。ロールケーキとか結構安いですよね。

若林氏
安いから「ロールケーキにあんまり良い生クリーム使ってないんじゃないか」って思われるかもしれませんが、食べていただいた方々が「お宅の生クリーム食べて生クリーム食べれるようになった」とか「生クリーム美味しい!」って言われるんですよ。
質が良いから美味しいんだからって言うんです。それは私の技術でも何でもないし、美味しい素材を使ってれば美味しいんです。
この値段でも努力すれば、美味しい品を出せるって事なんです。

そのへんの材料に関しての努力はすごいしてますよね。
でも材料を卸してくれる業者には悪魔だと思われてます。
だから僕は去年から材料費が上がった時も上げませんでした。
業者さんが、「何で上げないんですか」とよく言われる、だって自分たちで努力すればどうにかなる事だったらそれでそうするべきだと思うんですよ。

吉野
こちらの場所でオープンされたのは何年前ですか?

若林氏
8年前ですから2001年です。実は、デザート屋の後に「横浜のみなとみらい」にあるデパートで店を始めたんです。
そろそろ自分でやってみたいという気持ちがあった頃に「やらないか」って話が来たんですよ。

吉野
デパートのテナントですか?

若林氏
そうです。デザート屋が繁盛してたんでデパート側も、デザートをやってもらえないかと言われたんですが、デザート屋は面白かったんですけど客席が2、30なので広いスペースが必要だったんですが、その資金がなく、無理だなと思って断ったんです。
地元の大田区でやろうかって思っていた矢先に、先方からデザート屋でなくてもいいから出店してくれという話になったんです。
しかも製造もそのテナントの中でやることになったんです。
通常デパートのテナントと言うと、他に工場があってデパートに配送するというのが普通ですけど、私の場合は、そのテナントのキッチンの中で100%作ってました。

吉野
普通だったら他の工場でお菓子を作ってデパートのテナントのショーケースに並べますよね。

若林氏
はい、うちの他に洋菓子店が、地下1階に合計7ヶ所くらいありましたね。
和菓子やフルーツパーラーみたいな所やジュースをやるとか、ジェラートの店とか入れちゃったらもうすごい数ですよ。
その中に「ジャン・ミエ」っていうフランスのパリの会長の店が日本初出店で入ることになったんです。
だからデパートがオープンする時には多くのマスコミが来ました。

負けたくはなかったですね。
でも、やっぱりジャン・ミエにドーンとお客様を取られちゃうわけですよね、こっちはどうしても売上では負けてしまうんですね。
色んな智慧を出して頑張りました。

吉野
色んなご苦労があったんですね。何年間くらいやられてたんですか?

若林氏
景気が悪くてデパート自体の売り上げがあまり上がらずに3年で全店閉店になっちゃったんです。
でもうちの売上は良かったんです。売り上げのトップ3に入っていたんですから。
閉店の話を聞いたときには、青ざめたんですが、3年も良い経験をさせてもらってラッキーだったなという考え方になりました。

吉野
前向きな姿勢ですね。閉店予告されて、次なる手は打ったんですか?

若林氏
地元の大田区でやりたい。その中でも田園調布で出来ないかなって動き出したんですよ。
何10件の物件を見ていた中で、今の店がやっと見つかったんです。
何軒も不動産屋行きましたね。

吉野
ここに決められたのは、どういう理由なんですか?

若林氏
「田園調布」って名前が使える、あとは目の前まで車で来て止めやすかった。
それですね、自分が使えるお金の中の範囲で100点満点でしたね。

吉野
オープンされたのは何月だったんですか?

若林氏
6月です。

吉野
ケーキ屋さんとしては少しゆっくりする時期ですね。

若林氏
いやーそれが全然そうじゃないんですよ。
何でかって言うと、デパートのテナントが、5月19日に閉店でしょ。
私の結婚式が6月3日。
4日から一週間新婚旅行に行って、6月23日にオープンしたんです。
1ヶ月間に結婚式と新婚旅行と閉店と開店をやったんです。

吉野
それは凄いですね。普通やれませんよね。

若林氏
テナントの閉店が早くなったのが原因なのですが、生来楽天家なんで「やってやろう」って気になりましたね。

吉野
地元でのオープンだったんですね。

若林氏
実家は、蒲田で近いし、この辺ってのが土地勘もあるので安心は安心でしたね。
やはりどこか知らない土地でやろうっていうのは出来ないですね、怖くて。
ここなら行っていた学校も近くなんで、それらから友達もいますしね。

吉野
開店してからご苦労された点はありますか?

若林氏
デパートで店を出していたときには、お客様には当然不自由しないんですよ。
でも路面店だと、そうはいかないいですね。
売り上げが伸び悩む時期があったんです。
その理由も分からなかったんですね。

当然、妻が心配するんですが、その時、私が「大丈夫だよ」って根拠もないのに言ったんです。
もう大丈夫って言うしかないじゃないですか。
やはり、オーナーシェフならではの悩みですね。

吉野
これから菓子職人になりたいって人に何が一番大切ですか?

若林氏
情報ですね。
菓子職人になりたがっている人たちで、すぐに辞めていく人が多いんですが、その人たちの欠点は、情報を把握してないって事ですね。
世の中どうなっているのかを知らない。
自分の夢だけ追ってるって事ですね。

情報を得て、それを分析して、店やるんだったらどうしていかないといけないかってのを考えなきゃいけないと思いますね。
私たちの時代ってフランスに行き修行して店をやっている人ってそんなにいなかったんですよ。
でも今は、増えているわけです。


ただ店をやっていく時に、自分はカリスマ性があるのか、自分にすごい技術があるのか、フランス歴があるのか、大会歴があるのか、それをどれなのか考えてやっていかないと、店ってやれないのかもしれないですね。
ですからどういう意味でフランスに行くのか考えないといけない。
フランス行ったから洋菓子店のオーナーになれる訳ではないのですからね。

吉野
自分という部分と、自分の身の回りにある現実を知るっていう所がスタートですよね。

若林氏
情報の分析力ですね。
冷静に分析して自分は出来るのか出来ないのかって答えが出てくるかもしれない。
それに誰もが野球でいう四番打者にはなれないわけですよね、誰もが俳優で主役になれるわけじゃない、自分がどの辺の場所にいるかって分からないといけないと思うんです。

そりゃあ、四番打者になりたいのかもしれないけど、皆主役になりたいのかもしれない、でも脇役が悪いのかっていう訳でもないじゃないですか。だからオンリー1に、それも脇役のオンリー1になれればいいのにって思うんですけどね。
ただ、ベスト1になろうという気持ちは最初は良いんですよ、20代は。
30くらいになってきた時に、どこのオンリー1なのかってのを、考えないと、ベスト1をずーっと引きずってて結局は何か中途半端になっちゃってしまうのかもしれないですね。

吉野
なるほど。自分の立場と現実をいかに理解するかですね。

若林氏
だからケーキ屋さんも地道に努力したら出来るけど、みんなやっぱり色んな誘惑に負けちゃったりとか、ぐうたら病になっちゃうとダメなのかもしれないと思うんですよね。でもみんな最初スタートラインは一緒ですからね。
私たちが道筋に乗っける事は出来るけど「走るのは自分たちだろ?」っていう事ですよ。

吉野
まさにその通りですよね。本日は、長い時間本当にありがとうございました。