吉野
本日はよろしくお願いします。
まず生年月日とご出身地を聞かせてください。

須栗氏
1965年3月22日、新潟県の出身です。

吉野
小学校3、4年生くらいの頃どんなお子さんでしたか?

須栗氏
そうですねぇ、理科とか家庭科が好きでしたよ。
絵を描いたりとか物作りに熱中していました。
プラモデルとかよく作っていて、後は家の料理の手伝いとかは結構好きだったので小学生の頃からやっていました。


吉野
そうですか、ご自分で最初に作った料理とか覚えてらっしゃいますか?

須栗氏
目玉焼きだと思います。多分小学4、5年生くらいだと思いますけど。

吉野
パティシエを志したきっかけは何かあったんですか?

須栗氏
中学になっても料理が好きで、自分のおやつとかも当たり前にお好み焼きみたいなのを作って食べていましたから、その延長でお菓子を作ってみたいなと思って、お菓子の本を買ってきてチーズケーキを作ったんです。
それを次の日 学校に持っていったんです。
そしたら女の子たちにバカウケしちゃって、やっぱり自分が作ったものを食べてもらって美味しいって喜んでもらったのが多分、最初のきっかけだったと思いますね。

それで創作意欲に火が点いたんだと思います。
喜んでくれて逆にこっちが嬉しい。
ああ、「美味しい」って言われるとこんなに嬉しいんだと思いました。

吉野
その時に菓子職人になろうと?

須栗氏
まだその頃はそこまで絞り込んでなかったですね。
料理の世界に入ろうか、お菓子作りか、喫茶店も好きだったので喫茶店の方向もちょっと考えたりしていました。
実家が写真館をやっていたのでサラリーマンにはなるつもりはなかったですね。
将来は何かしらの自分の店を持ちたいという意識はありましたね。

吉野
高校を卒業されてからはどうされたんですか?

須栗氏
調理師学校に行ったんですよ。料理の勉強がしたかったので。
大阪の日本調理師学校に1年間通いました。
パンフレットとかを取り寄せて見て、「実習時間が多い」「スパルタ教育」「実際の職場をイメージした教育をやっています」みたいなのが書いてあったので、それに惹かれて、なるべく実習が多いのがいいなと思って、そこに決めました。

吉野
そこではお菓子作りとかあったんですか?

須栗氏
ありましたよもちろん。洋菓子やパンとかもありました。料理もやりながら洋菓子を勉強しました。

吉野
1年間終わって就職されるんですか?

須栗氏
その時はもう洋菓子店に入るつもりで。調理師学校時代に洋菓子方面に行こうと気持ちが固まったんです。

吉野
一番最初に入られたのはどちらですか?

須栗氏
今はもうないんですが東京の広尾にあった「エヴァンタイユ」という店です。
東京に就職するつもりで何件か食べ歩きした中で、一番そこが自分の心に印象に残ったお菓子だったんですよ。
そこで当時のチーフだった田中さんという方に出会って、そこがひとつの始まりだったんですね。

吉野
就職されて苦労した点とかありますか?

須栗氏
正直社会に出たての頃って、あまり何も考えてないので、日々楽しくやっていましたね。でも足腰は疲れました。

吉野
「エヴァンタイユ」にはどれくらいおられたんですか?

須栗氏
実は1年後くらいに田中チーフが「エヴァンタイユ」を辞められる時についていったんです。それで次に成城の「風月堂」という所に行きました。

吉野
風月堂にはどれくらいおられたんですか?

須栗氏
風月堂に3年間いました。そこで基礎を学びました。

吉野
最初のお店で1年、ここで3年間、やっぱりその店、店でやり方違いますか?

須栗氏
そうですね、最初の「エバンタイユ」の時はお店の販売とかがほとんどで、厨房に入れたのは2ヶ月くらいだったんです。

吉野
では本格的にやりだしたのは成城風月堂に入ってからですね。

須栗氏
そうです。
3年間やって、「仕上げ」から「焼き物」の基礎的な事をやらせてもらえたので、そろそろちょっと違う店も見てみたいという気が出てきた時に、たまたま先輩の紹介で、三鷹台にあった「プチオオサワ」というお店に行きました。
そこは個人店でしたけど、一度そういう店でオーナーとマンツーマンで教えてもらいたいなというのがあったので、そこにお世話になりました。

吉野
やっぱり違いました?

須栗氏
も〜う、やっぱりオーナーシェフのお店っていうのは。何から何まで、やらないといけないからですね。
何でしょうね、商品だけじゃないからですね、お店の販売、接客もそうですし、お菓子ひとつひとつを大切に無駄のないような仕事をする事が身に付きましたね。
あとはダイレクトにお客様のお顔も見えますので、反応も伺いながらのお菓子作りでしたね。
その2年間お世話になり、その後に、祐天寺の「フローラ」という店に行きました。

吉野
そこは、どなたかのお知り合いかなにかで?

須栗氏
当時フローラのチーフをやっていた方が、成城風月堂で一緒に仕事をした事がある人だったんです。
その人が、自分がプチ大沢を辞めるって時に「よかったら来ないか」と誘われて。
大沢さんではすごいしっかりした基礎的なフランス菓子をやっていたんですけど、そのフローラのケーキはとてもバリエーションがすごく豊富だったんです。
今まで培ってきたものを活かしたメニューが広がりましたね。

そういうのを教えて頂いて、3年間は当時のフローラのチーフの下でやらせて頂いて、そのチーフが店を辞める時に「よかったら後を継いでチーフをやらないか」と言われたんです。
ちょっと戸惑ったんですけど、そろそろやってもいいんじゃないかと、その時28歳だったからですね。
結婚もする時期だったので、思い切ってやってみようかなと思ってチーフをやらせてもらいました。
その後、チーフで3年間やっていて、だんだん具体的に自分でもやってみたいという想いが強くなって来たんですよ。

吉野
それから、自分の店を持ちたいとお考えになったんですね? 

須栗氏
そうですね。
6年間フローラにいたんですけど、現実に店を持ちたいなと思うようになったんです。
その頃、友達が茨城でお店を始めたんですけど、そういうのも見せてもらったりとか、フローラの当時のチーフも実家のある青森に帰られてご自分でお店を出されたのを見に行ったりしたんです。
そういうのを見ると自分にも出来るんじゃないかと思い始めて。

フローラを6年間勤めて、そろそろって考えたんですけど、もうちょっと他の店を見てみようと思って、また移ったんですけど、移ってみたらよけいに自分でやろうという、逆に決心がついちゃって。
単純にお菓子を、自分の作りたいお菓子をやりたいとかいう事よりも、何かトータル的にお客様と接したお菓子作りがしたいなという風に思うようになりました。

吉野
6年間フローラにおられて、他の店にまず行かれて、すぐ辞められたんですか?

須栗氏
そうなんです、1年弱だったんですけれども、店に入り2ヶ月して「申し訳ないですけれども、自分の店をやりたいんです」と社長に言ったんです。
「私の次を育てるまでは引き継ぎもちゃんとやります」と話して、引き継ぎをしながら場所を探し始めました。

吉野
ここの場所に決められたのは何か理由があるんですか?

須栗氏
うちの家内の実家が近かったんです。
当時まだ子供たちも生まれたばっかりで、両親に子供の世話も手伝ってもらわなければならなかったんで、その近くがいいという事で、近くを探して見つかったのがここなんです。

吉野
ここを見て、決め手になったのはどういう理由ですか?

須栗氏
最初は、駅に近いよりもちょっと離れたくらいが車が止めやすい場所ということで考えていたんですけど、当時不動産屋さんにここを紹介されて、この物件を見た瞬間に「ここならいいな」と直感的に思ったんです。
車も止めやすいし、大型店があって集客力があるなと思って即決しました。

吉野
店のお名前というのはもちろんご自分のお名前からですか?

須栗氏
そうですね。
大沢さんに相談した時に「そんなのスグリなんだからスグリでいいじゃねぇか」と言われて、そのまんまのスグリじゃつまらないから書体をフランス語の書体にしたらカッコイイじゃないかと思い「スグーリ」にしました。

吉野
その大沢さんの所は本格的なフランス菓子だったんですか?

須栗氏
本格的なフランス菓子をベースに日本人好みにした感じでしたけど。
その後フローラさんに行っていろんなバリエーションのお菓子を作らせてもらったのが良かったんでしょうね。
でも自分のベースにあるのは大沢さんの所のお菓子ですが、その後の経験とか土地に合わせた形で変えていきました。

吉野
オープンされてどれくらいですか?

須栗氏
11年です。

吉野
オープンされてからの苦労とかはありました?

須栗氏
オープンする時に大変なのは覚悟して始めたので、実際に最初は製造は自分ひとりでやるつもりでやってたんで大変だったんですけど、今から思えばもう先に進むしかないというか、自分のやりたい事をスタートさせたという思いだったんで、大変だったのも楽しかったという感じでした。アルバイトを何人か雇って、みんな楽しく仕事してました。

ただ5月にオープンして、すぐ夏場に入って売上げがガクンと落ちた時に、「自分のお菓子じゃダメなのかなぁ」と思って不安になりました、でも秋から売れるようになったので、それが徐々に自信に繋がっていきましたね。

吉野
横浜はケーキ屋さん多いですよね。

須栗氏
ただ自分が始めた時は、港北ニュータウンは少なかったんですよ、まだ何もない場所でケーキ屋さんも少なかったし、当時はうちが一番最初くらいでしたね。

吉野
センター南って駅はあったんですか?

須栗氏
駅はありましたけど駅前周辺は何もなかったですよ。でも確実に人口は増えるだろうという予感はありましたね。
ただ、洋菓子店がどんどん周りに増えてきて、そういった意味では競争が激しくなったなとは思います。

吉野
菓子職人になられてどれくらいですか?

須栗氏
23年くらいです。

吉野
四半世紀ですよね。自分自身にとって菓子職人にとって一番大切なのは何ですか。

須栗氏
やっぱり本当にお菓子が好きということがまず第一じゃないですかね、たぶん食べるのも作るのも本当に好きでという事と、やっぱり体力と健康ですよ。
やっぱり体が弱いと出来ない仕事ですよね、そういう丈夫な体である事は感謝したいですね。

吉野
これから菓子職人になりたいと思っている方に何かアドバイスか何かあれば、お聞かせ下さい。

須栗氏
今の若い子たち色んな考え方もっているので、一概には言えないですけど。

やっぱり菓子職人の世界を目指すんだったらアレコレ余計な事を考えずに、その仕事を一生懸命に2、3年はやってみようというつもりで入ってきてほしいと思います。

いろんな他の職業と比較したりだとかではなくて、人間誰しも楽して稼ぎたいんですけど、そういう事よりもやりたい事目指して行くんだったら、まずは一生懸命やってみたらいいんじゃないかなと思います。


吉野
須栗オーナーは修業時代とか、キツイ事や辛いことがあったと思いますが、お菓子屋さんになりたいって気持ちが強かったんですね。

須栗氏
この世界で生きていくと思っていましたから、どんな辛い事とかあっても、仕事を辞めようとは一度も思った事ないですね。
でも、今は、「パティシエ」ってのは華やかな面があるし、ひとつのブームみたいな部分があって一部の人に脚光を浴びているじゃないですか、ただそれを何か勘違いしている若い人がいますよね。

菓子作りは、毎日毎日地道な作業の繰り返しで身についていくものなので、その辺はやっぱり覚悟して入ってもらいたいですね。
でもその先には、頑張ってくれば必ず良い事があると思うんですよ。
すぐに結果を求めすぎだと思いますね。ちょっとした嫌な事や挫折があったらすぐに諦めてしまうんですね。
だからもったいないのですよね。

最近女性のオーナーさん、結構増えてきているんですよ。
女性の夢は結婚もあるんですけど、それだけじゃないよという部分では女性のオーナーさんにも頑張って欲しいですよね。

吉野
今日は、長い時間ありがとうございたした。